志ん生は「きよう」と言ってました

「もしなんならば、魚屋の親父、買って来ようか?」 古今亭志ん生の「鮑熨斗」です。 「来よう」の部分は、「こよう」ではなく「きよう」であります。 確かに、「行って来ます」というのは「いってきます」ですから、「来よう」を「きよう」と読んでもあながち間違いではないのかもしれません。 粋な感じがするので、ハンサムで上品な中年紳士も多用しています。街角で「交番で道を尋ねてきようか?」とか「銀行から1億…

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