重松清は嘘つきだなあ。まあ小説家なんだから、嘘がうまいのは当然。
嘘を書いて売っているんだから。
何を言っているのかというと、村上たかしの「星を守る犬」の帯に書いてある宣伝文句。
重松清が絶賛しているのだけども、読んでみてがっかりしました。
これでもオイラは犬好きで涙もろく、いまだに「ごんぎつね」を読めば泣く。
映画「hachi」のストーリーックを立ち読みしたら、涙が止まらなくなってしまったほど。
映画を観たら館内で(いい年して)号泣するに違いなく、体面を慮って鑑賞をあきらめたくらいですよ。
それでも「星守る犬」にはさっぱり心を動かされることもなく、感情移入も出来なかったです。
村上たかしは絵が上手いとはいえない。お世辞でも。
そして線が汚ない。その汚さ加減が、生活感溢れる現実味を醸し出すこともある。
村上たかしが得意としていた、貧乏ネタやアホで猥雑な友人らとの交友録マンガなどでは、下手な絵の力が遺憾なく発揮されていたのだけども、この手のマンガでは汚さ具合がマイナスに働いた。
少なくともオイラにとっては、ということですが。
別に絵が下手な人間は感動的なマンガを描いてはいけない、というワケではありません。
それがいい味になっている、と評価する人だっているのだろうし。
それにしても問題はストーリー。
はじめに感動ありき、みたいな予定調和的なプロット。
家族が段々変わっていく、とはいいながら、わずか数ページでいきなり変わり過ぎる。
途中経過に何の説明もない。「お父さん」はどうして失業して病気になったのだ?
その辺は犬の視点からはわからない、ということの表現なのか?
それとも後半を重点的に描き込みたくて導入部は流したのか?
死ぬ=かわいそう=感動の涙を流してちょうだい、な図式をなぞっただけだ。
いったい日本人はいつから、こういうありがちな「お涙ちょうだい」風の本を喜んで受け入れるようになったのか。「星守る犬」だけではなく、どこかの遊園地であった「感動的なエピソード」がベストセラーになったり、やたらと不幸な目にあう美少女の話が売れたりしている。何か満たされないものをお手軽な感動で充足させようとしているのだろうか。
それはそれで悪くないけども、もう少し感傷のレベルを上げた方がよい。
最近のマンガ、映画、テレビ番組は涙も笑いも感動も形から入って形だけで終わっている気がする。
だいたい主人公の死体が発見されるシーンから始めるというのがよくない。
いきなり結末を知らされた話を読むのは辛い。
回想形式で話が進む手法は、映画などではよく使われ、それなりに効果をあげる。
ところがこれを小説や漫画でやるとなると、相当の力量がないとできない。
まして「お涙ちょうだい」風で予定調和的なストーリーである。
ファーストシーンは余計だった。あれがなければ少しはマシだったかもしれない。
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この記事へのコメント
禿同
お涙頂戴作品は内容が薄っぺらいですよね。昔話題になった一杯のかけそばなんかも聞いただけで冷めてしまいます。
おなら出ちゃっ太
貧乏な漫画家をこき下ろしては可哀想かとも思ったのですが。
村上たかしが勘違いすると残念なので、あえて毒舌を振るいました。
まあ、村上さんには届かないだろうし。太っちょ嫁のカヨちゃんあたりは、この路線を応援してるのかもしれませんが。
村上たかしには、永遠にアホアホマンガの星でいてもらいたくて。