あまり知られていないことですが、ヒットラーは一羽のカナリヤを飼っていました。
ベルリンの地下だったとも言われますし、ラステンブルクにあった「狼の巣(ヴォルフスシャンツェ)」だったとも言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。
美しい声でさえずるカナリヤだったそうですが、ある日を境にぱったりとさえずらなくなりました。歌を忘れたカナリヤになってしまったのです。そこでヒットラーはどうしたか?
(1)歌を忘れたカナリヤなら殺してしまえ!、と言った
(2)歌を忘れたカナリヤなら思い出させてやろうじゃないか、と言った
(3)歌を忘れたとしても歌うこともあるだろう。待ってみようじゃないか、諸君!、と言った
(4)カナリヤが歌わない、だから地球は丸い、と言った
本書を読めば、その答えが……分かりませんよ。
こういう冗談を本気にしないように。
「ヒットラーのカナリア」とは、ナチスに占領されながらも抵抗を見せなかったデンマーク人を揶揄した言葉らしいです。BBCがそういう表現をしたらしい。
それでも若い世代は反ナチスの動きを見せますが、大人たちは恐れるばかりでまさにヒットラーのカナリヤになってしまう。そうした世代間の対立の中、ナチスはユダヤ系デンマーク人に対して「最終解決」の実行を始めます。そのとき、ヒットラーのカナリヤたちがユダヤ系の同胞救出に立ち上がります。
その救出劇は、銃弾をかいくぐり追いつ追われつのカーチェイス、といった派手さはありません。静かにドイツ軍の注意をひかないよう目立たないように、ひっそりとした脱出を行います。派手さはないのですが、息が詰まるような緊張感が続きます。
最終的にユダヤ系デンマーク人の犠牲は、比較的少なくて済みました(もちろん数が少ないからよかった、ということではありませんが)。その背景には、自らに迫る危険を顧みずに活動したデンマーク人、ヒットラーのカナリヤと揶揄された人たちの勇気、何故かデンマークのドイツ軍がユダヤ人の摘発にあまり熱心でなかったことあるようです。恐ろしいことに、ユダヤ人の摘発にもっとも熱心だったのは対独協力組織のシャルブルク隊に属するデンマーク人だったのです。
日本でも似たようなことがありましたよね。人間は恐ろしい!
けれども、同時に人間には気高さもあります。それを歌い上げているのが本書なのですから。
すべてのドイツ人が悪人ではなく、すべてのデンマーク人が善人だったワケではない、というごく当たり前のような事実を突きつけられます。それを直視する勇気も必要です。
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この記事へのコメント
たけちゃん&ビーフ
おなら出ちゃっ太
コメントありがとうございます。
重畳でした!