カスハラ、という文字列をみて「カステラ」と見間違える人は平和に暮らしておられるのでしょう。それはそれで結構なことです。しかし「カスハラ=カスタマーハラスメント」と見当がつく、あるいは連想してしまう人は仕事に行くことすら苦痛に感じているのではないでしょうか。
本書では、カスタマーハラスメント、つまり「お客様」から過剰なクレームや嫌がらせを受けた事例を紹介し、それらが発生した理由についても考察しています。
白眉ともいえるのは、「元クレーマー」だった方へのロングインタビュー。本書でも触れられているのですが、この「元クレーマー」氏はご自分のことを実に冷静に分析しています。
クレーマーだった自分が、社会や周囲に対して強い不満と劣等感を持っていたことを語るのは、知性と勇気が必要なことです。多くの人は以前の過ちに対しても、自己弁護が先立つもの。ここに登場する「元クレーマー」氏のように自分を振り返ることができれば、二度と同じことはしないでしょう。
ほかにも複数の研究者により、カスタマーハラスメント、つまり「お客様」が暴走して店員さんに無理難題をふっかけたり、介護サービスの利用者が介護をする人を侮辱する背景が分析されています。
ひとくくりに語るのは乱暴ですが、今の日本では「サービスや製品が飽和状態」にあるため、企業は過当競争に勝ち抜くために顧客を「お客様は神様」と持ち上げて過剰なサービスをせざるを得ない。その結果、顧客は増長してわがままになり、自分が無理をいう相手がどんなダメージを受けるかについて「想像力が欠如」しているのですね。
「創造力が欠如」している、カスハラによりダメージを受けた従業員や企業が疲弊することで、そのマイナスが自分に跳ね返ってくることがわからない。それでサービスが低下すれば、ますます自分の要求が受け入れられなくなるという悪循環にも気づかない。
そんなロクでもない「お客様」の悪行である「カスハラ」の文字列が、「カスタマーによるハラスメント」ではなく、「(人間の)カスによるハラスメント」ととも見えてきます。まあ普通は「人間のカス」とは言わないか。「人間のクズ」ですね、言うならば。「カス」というのはもっと乱暴な言い方かな。
シカシナガラ。
こういう風に人様を「カス」というのも、「想像力が欠如」した状態です。ハラスメントをする人間にも、それなりの理由があるのですから。社会の停滞による将来への不安や、承認欲求が満たされない日常など、現代人はさまざまなストレスに囲まれています。
そう考えたら、自分だってハラスメントをしないとは限りません。クワバラクワバラ!
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