似ているとか似ていないとか

時は昭和50年4月。
ハンサムで上品な中年紳士が中学入学直後のこと。
クラスメイトのひとりと、そっくりだと指摘されました。
そんな二枚目がほかにもいるのだろうか、とクラスメイトに目を向けたところ、自分とは似ても似つかぬ、畑から掘りたての大振りのジャガイモのような少年が顔をしかめていました。
彼もまた、似ていると評された同級生を確かめようとしていたのでしょう。彼が見たのは、ジャガイモとは似ても似つかぬ紅顔の美少年(自称)、畏れ多さにまぶしてく思わず顔をしかめたと推定されました。

二人の中学生は、
「こんな奴に似てないよ!」と同時に声をあげました。
お互いに迷惑そうな気分を隠そうともせずに、です。
その少年は人一倍大きな頭のハチが開いており、俳優でいえばボリス・カーロフによく似ていました。
一方、ハンサムで上品な中年紳士は福山雅治似です(当時はまだデビュー前ですが)から、似ても似つかない逆裏対偶ですよ!

お互いの不満はともかく、どうしてこうも似ていない二人が似ていると評されたのか。
おそらく、見慣れていないからでしょう。よく見れば似ていないことは明白なのに、違いを見分ける目ができていないのです。相違点に気づかない。自分が把握できる範囲でしかものを見ていないから起きる誤解です。
例えば昆虫のことをよく知らない人は、カブトムシとクワガタムシの違いが分からない。ひどいのになると、触覚が長いという点だけでカミキリムシとゴキブリの区別が付かなかったりもします。
あるいは知らない俳優ばかりがでている時代劇は、どの人もみんなチョンマゲで着物を着ているのでみんな同じに見える。もしくはビートルズのメンバーを正確に見分けないと死刑という法制度の下で、自分は絶対に安心だという自信を持てる人間がどれくらいいるのか。

まあ死刑制度はともかくとして、要するに見慣れてくるという問題につきます。
あるいは違いを見分ける目ができてくる、という一種のスキルの問題でもあります。
それらによって、単純に「似ている」と判断することは減ってくるはずです。

クラスメイトの顔を見分けられない点については、転校を経験すると分かるようになります。
クラスの中で、他の生徒の顔を知らないのは自分一人。
こういう状態では、A君とB君の見分けがつかないことが、ままある。
他の生徒たちは、一年なり二年なり馴染んだ顔だから、ちゃんと違った顔に見える。

クラスの連中も少したてば目が慣れてきてふたりの区別がつくだろう、とタカをくくっていたのが甘かった。
世の中には、最初の判断を変えない頑固者が少なからずいることを知りました。
思いこみが強いというのか、認知の修正機能が弱いというのか。
クラスメイトの多くは、いつまでたってもボリス・カーロフと福山雅治の区別がつかないのでした。

幸いにも中学1年生を終えるころ、父が転勤になるので旭川に転校が決まりました。
これで見る目のないバカな連中とおさらばできると喜んだものです。

そして対面した新しいクラスメイトらは開口一番、ハンサムで上品な転校生に向かって言ったのです。
「キミはヨネムラにそっくりだ!」

転校したK中学校は、当時生徒数が多くなりすぎたR中学校から分離した学校でした。
R中学校に残った中に、ハンサムで上品な中学生にそっくりなのがいた、とクラスメイトらは主張した上に、そのヨネムラという垢抜けない名前で呼ばわり続けたのです。ときには、「ヨネ」とか「ヨネ公」などと略してですよ。思い出すだけでウンザリする話です。

そして市内の中学校が合同で行う陸上競技会の日、おせっかいなクラスメイトの一人がヨネムラを連れてきたから会ってみろ、というのです。
まったく気の進まないハナシであったのですが、半ば強制連行されるようにしてヨネムラのいる場所に引き出されてしまいました。
ハンサムで上品な中学生が目にしたのは、中学生版のボリス・カーロフでありました。

ここでも「似ている」と評された二人の男子中学生は、迷惑そうな態度も不愉快さも隠さずにお互いに「似てない、絶対に似ていない!」と主張しました。その主張が周囲に聞き入れられることはありません。
中学生という人種は、日本中どこに行っても思い込みが強く自分の判断を曲げず人の意見を取り入れる柔軟性に欠けているものらしい。
何しろハンサムで上品な中学生が目の前のボリス・カーロフに、
「ぼくが前にいた中学の同級生こそ、キミにそっくりだったよ」と教えてあげたのに、
当のボリス・カーロフ、いやヨネムラ本人は、
「そんな奴にも似てないからな!」と会ったこともないのに断言したのでした。

中学生くらいの年頃は、まだまだ未熟なものですなあ。
いや、似ているとか似ていないとかという問題は難しいものなのかも知れません。

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