子どもの気持ちになるのは難しいぞ

たいていの大人は、子どもを愛でる目で見ている。
つまり大人が子どもを見るとき、かわいいとか微笑ましいとか思ってみるでしょう。
それは大人の視点ですね。大人なんだから、当たり前なんですが。

幼稚園児くらいの子どもが、父親の手にぶら下がるようにして歩いていました。
片手で父親と手をつなぎ、身体を倒さんばかりに傾けて歩いています。体重を父親にあずけるというか、ぶら下がるような感じです。もう片方の手は、建物の壁や塀をなでていました。子どもって、なんでも触りたがるものだなあ、と今更ながら気づいたように見ていました。

そういう子どもの歩く様子を童話にできないかなあ、と考えていたのですが、たぶん童話にはできない。
なぜなら、大人として観察する目でしか捉えていないから。
あの情景をそのまま書いても、それがいくら上手な描写であっても、すでに子どもが大きくなってしまった人が読んで子育て時代を思い出すように書けたとしても、それは単なるエッセイ。エッセイまで昇華しなければ、子育てあるあるネタの小話にしかなりません。

それを子どもが読んでも、決して面白いはずはない!

大人の自分が大人の目で見ているのは仕方ないのですが、その視点を子どもの位置まで下げることが必要ではなかろうか。
子どもの気持ちになってみる。
ぶら下がるようにして歩くとどんな感じがするだろう?
建物の壁や塀って、触ってなにかおもしろいことがあったかな?
面白いかどうか、触ってみなくちゃわからない?
触りながら歩くって、確かスーッと表面をこするような、撫でるような感じで触るんだっけ?
手が擦れる感じはあったか、手が汚れたりするんだったか、それが気になったかどうか。

なんだ、けっこう難しいじゃないか!

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