下級国民A(赤松利市)

DSC_0391.JPG

表紙の人物が著者の赤松氏。この写真を見ただけで、本を手にしたことを後悔します。
どっからどう見ても、その筋の人。前から歩いてきたら絶対に避けて通りたくなる相手です。
こんな不穏な雰囲気が横溢した強面で胡散臭さがプンプン漂う著者ですが、本書の中ではひたすら自分の部下に怯えています。もっとも部下のほうでは、著者を上司とは思っていないようですし、著者のほうでも部下に対してこれっぽっちの信頼も親愛の情も持っていない不幸な職場のハナシです。

いったいどこの職場かというと、それは福島の復興事業にあたる土木作業現場。建築や土木というのは、元請けの大手ゼネコンをトップに下請け孫請けと重なり、曾孫孫亀こけても親亀だけは安泰という階級社会。
著者が束ねる土木作業員たちは、ベテランではあるけれども強烈に個性的なために普通の会社では絶対に務まらない人々です。
ちょっと酷い書きようですが、本書ではもっと酷い調子です。

まあ本書を読んで切なく感じられるのは、震災からの復興事業というものが、「がんばろう」とか「絆を大切に」、「花が咲く」などの美辞麗句に飾られながら、その現場作業は、およそ一般社会には受け入れられないタイプの人たちに支えられているという現実です。

確かに癖のあるというよりは、癖が固まって作業員の姿を作っているような人々。そして彼らに対して露骨な差別感情をむき出しにする地元の人々。さらには工事現場のヒエラルキーのすさまじさ。これを読んだら、震災復興という言葉の受け止め方が変わってしまう!

ところで、彼ら末端の業者がこうした事業に携わるのは、何あろう金のためです。その点、元請けのゼネコンも同様でしょう。しかし経営基盤が小さい(というよりはないに等しい)末端業者たちは、遙かに利に聡い。
いや、「利に聡い」なんてお上品なものではなく、金の臭いに敏感というべきか。
ただしその敏感さは決して利口なものではない。胡散臭い儲け話に食いつく様は、見苦しい中にも多少の哀れさを感じさせます。

なんて蓮の池を通して下界をのぞくようなことを書けるのは、ハンサムで上品な中年紳士がまだ、それほど経済的に逼迫したことがない甘ちゃんだからかも知れません。
甘いのはマスクだけではなかったことが露見しました。



この記事へのコメント


この記事へのトラックバック