テレワークでも社畜になりたい人たち

テレワークが働き方改革の一助にはなり得ないのとしたら、残念なことです。

書店にはテレワーク関連の書籍が並んでいますが、その多くはテレワークに張り切りすぎているようです。
曰く、カメラは常にオンにしておけ、存在感とやる気をアピールできるから!
曰く、仕事モードに切り替えろ、それには自宅で仕事をする場合でもスーツに着替えろ!
曰く、環境を整えろ、自宅でもオフィスと同じように働けるデスクや椅子はもちろん、プリンタも必要だ!

仕事を一所懸命にするためには、間違ったことは書いていないです。だけどもやり過ぎの観は否めません。
テレワークは、新型コロナウイルス感染症対策としての出勤抑制だけではなく、働き方改革の一環としても期待されていたはずなのに、オフィスに居るのと同じように、あるいはそれ以上に社畜と言われる働き方を勧めているとしか思えません。

当たり前のことですが、通勤している時は、就業時間が終われば家に帰ります。いわば強制的に仕事から切り離される。もちろんスマートフォンが追いかけてきたり、仕事が頭から離れない場合もあるでしょうが、物理的には切り離されます。
しかしテレワークとなると、そうした強制的で物理的な切断がありません。

確かに職場からは切り離されているものの、仕事とはネットワークを介して繋がりっぱなし。やろうと思えば、あるいは追い立てられれば、いくらでも仕事を続けられてしまう。テレワークにはそうした危険な面があるのですよ。

もともとテレワークは「テレ」は「離れた」という意味です。
勤め先、あるいは仕事とは心理的にも「離れた」ほうがよいですよ。


そうはいっても社畜になりたい人たちには聞こえまい。
そもそもこんな駄ブログを読んだりはしないでしょうなあ。

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