人を殺さなくても、子どもたちがお互いに理解し合っていくプロセスを読むだけで、十分に泣けるもんです。頽齢に至って涙もろくなっていれば、余計にですが。
工藤純子さんの「はじめましてのダンネバード」は、クラスになじめずにいるネパールからの転校生を、主人公である引っ込み思案の男の子がなんとかしてあげようと考える物語。

主人公は引っ込み思案とか人見知りといういうのは性格的には弱点だと思っています。しかし、引っ込み思案で人見知りだからこそ、新しい環境になじめずに転校生の気持ちがわかるんじゃないか、という母親の言葉に気付かされます。
そして地域の商店街のお店での社会体験学習をきっかけに、ネパールからの転校生とも少しずつ理解し合っていく。
最初に、「外国人だから」「言葉が通じないから」といった先入観で相手を見ていると、そこにはどうしても拒絶が生まれます。今流行りの言葉でいうと「分断」が生じる、ということか。
少しずつ、少しずつ相手のことを理解していく、そして主人公自身も変わっていくところは泣けて泣けて、しようがなかったですよ。
変わっていく、相手を思いやる主人公に比べて、どこか煮え切らない態度の担任教師がじれったくて仕方なかったのもポイント高いですね。個人情報やら何やらで、子どもの事情をクラスでオープンにできないのが現実なのでしょう。もっともストーリー的には担任教師が活躍してしまうと、子どもたちはそれに従うだけの役割しかないから、これまた仕方ないハナシ。でも、実際に大人の事情に絡め取られた教師の図でもあるわけだ。
目次の挿絵では、転校生がひとり、硬い表情で学校に向かう様子が描かれています。

しかし、物語が終わった後の挿絵では、この通り。

タイトルの「ダンネバード」は、ネパール語で「ありがとう」の意味です。それがどうして、「はじめましての」と組み合わさっているのかは、読んでのお楽しみ。
余談ですが、ぼくは「ダンネバード」を「ダネンバード」と読み違えていました。子どものころからカタカナの読み間違いはなおりませんし、還暦を迎えてもなおりません。たぶん死んでもなおらない。バカは死んだらなおるというから、バカよりも始末に悪い読み間違い癖が抜けないハンサムで上品な初老の紳士であります。
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