ホトトギスといえば「鳴かぬなら」に続く言葉が、戦国武将の性格を言い当てている、という小話が有名ですね。
改めて書くまでもないほど有名なことですが、一応、書いておくと。
織田信長「殺してしまえ」
豊臣秀吉「鳴かせてみせよう」
徳川家康「鳴くまで待とう」
明智光秀「敵は鳥籠にあり」
伊達政宗「ずんだもち食わせっぺ」
坂本龍馬「寝小便したキに」
西郷隆盛「地五郎め」
と、いったところでしょう。一部、創作が含まれているようですが。
さて、経営の神様といわれた松下幸之助氏はなんと言ったか。
これは先日とあるWEB記事で読んだもので、その真偽は分かりません。しかし、いかにも、という言葉なのでネタにしました。
「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」by 松下幸之助
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいずれもが、鳴かないホトトギスをよしとしなかった。鳴かないという現状は不可である、と判断したのですね。
ところが松下幸之助は、ホトトギスが鳴かないのであれば、それはそのホトトギスの個性なんだから、それでいいじゃないかと思うことができた。鳴かないホトトギスであっても、「それもまたよし」ということができた。この心の持ち方こそが、身の丈にあった商売を続けて経営の神様と呼ばれるまでになった所以であるということです。
と、ここまでWEB記事のまとめを書いてみて、どうも変だなという気がしてきました。
「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」はいかにも美しいのですが、ちょっとできすぎてやしないか。美談に過ぎます。
「経営の神様」を持ち上げるための、それこそ創作のように思えませんか?
だって、「鳴かないホトトギスでもいい」なんて考えていたら、「点かない電球でもいい」「仕事のできない社員でもいい」ってことになっちゃいますよ。
他人の創作ではないにしても、功成り名遂げた松下幸之助が、ゆったりとした心境に至ってから「別に鳴かないホトトギスでもいいじゃないか」なんて好々爺然とした発言をしたように思えてなりません。
そういうふうに考えるのは、ぼくが意地悪で性格が悪くて二枚目だからでしょうか?
「鳴かぬなら (自分が)かわりに鳴こう ホトトギス」by しろまめ
この記事へのコメント
田舎おじさん
私も現職時代、しろまめさんのような心がけで部下に接していればもっと後輩たちから慕われただろうにと、今になって反省している私です。
しろまめ
コメントありがとうございます。
いやあ、ぼくは定年するまで平社員を貫徹しましたので部下なんてものを持ったことはありません。
まあ強いて言うなら、誰も発現しない社内SNSに率先して投稿しては笑われているくらいです。
ホトトギスにしても、あれこれと手を打つよりも自分で鳴いたほうが早いや、っていうくらいの軽率さでして、まったくお恥ずかしい限りであります。