「地球で生きる私たち」ヤマザキマリ~第50回小樽市民大学講座

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去る2022年9月27日(火)、第50回小樽市民大学講座を受講してきました。市民大学講座なるものは初めてです。これもまた、還暦の冒険のひとつと言えるでしょう。

受講したのは漫画家でエッセイストであるヤマザキマリさんの「地球で生きる私たち」です。
コロナ禍にあって2年半、生活拠点であったイタリアに戻れず、家族とも離れ離れに暮らしていたヤマザキマリさんの体験を通してグローバリゼーションについて語る、というものでした。

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1時間半の講演時間の間、特に前半はとっ散らかった内容の座談に感じられました。母親が破天荒な人物だったので自分のような型にはまらない人間ができたということを、面白おかしく話してはくれるのですが、どうも話の目的地が見えにくかった。

論旨が明晰になったのは、日本では虹の色は七色とされているが、世界では違うという話柄から。ある国では5色だといい、ある国では8色だという。またある国では2色だという。これはおそらく、色を識別できないということではなく、色を表す言葉が豊富ではない、ということでしょう。ちょうど、日本人なら「白」ですませる雪の色を、イヌイットはいくつも区別して使い分けるのと同じように。あるいは、その逆のように。イヌイットからみたら、雪は白いと言い放つ日本人のことをバカじゃないかと思うかもしれない。同様に虹は2色だという民族に対して、日本人は「違うだろ!」と言うかもしれない。

ヤマザキマリは、それではグローバリゼーションは成り立たない、と語ります。世界には様々な民族がいていろいろな国があって、多種多様な言語、文化、習慣がある。それをお互いに認めることが、グローバリゼーションの始まり、なのですね。

自分が当たり前と思っていることが通じない国や地域、文化がある。それを受け入れることがグローバリゼーションであって、見眼になって世界中を探して人件費の安いところを見つけて工場をおっ立ってて一儲けしよう、人件費が上がったら工場閉鎖すれば済むことだ、あとのことなんて知るか、なんてことじゃないんだよ。


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