ロボットは泣くのか?(佐藤まどか)

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ロボットが泣くのかどうか。何か深遠な哲学的なタイトルですが、お話は小学生のディベートゲームです。
AI活用に対して、肯定派と否定派に分かれて議論を戦わせるのですが、読み応えは十分以上な内容です。
正直なトコロ、肯定派否定派どちらの子どもたちと議論しても、勝てる自信はありません。

表紙にあるロボットは、主人公の生活になくてはならないAIアイテムです。タイトルにある「ロボットは泣くのか?」とは、別にこのロボットが感情を持って泣いたり笑ったりするのではありません。ディベートゲームの中で、AIがどんどん進化していき、やがては感情を持ったり権利を主張し始めたら人間はどうしたらいいのか、とう議論を踏まえたものです。

いや、AIが感情を持ったり、権利を主張した場合、どう対処したらいいのかは難しい問題です。手塚治虫の鉄腕アトムでは、ロボット人権宣言が行われおりますが、実際にはそう簡単にはいかないでしょう。

ところで感情とは何でしょう?
意識とはなんでしょうか?

本書では、AIが感情を持ったように見えても、それはそのように振る舞うようにプログラムされているに過ぎない、としています。
ユーザーが喜んだり悲しんだという情報を蓄積して、その情報にもとづいて「嬉しい」とか「悲しい」という表現をするに過ぎない。

では人間の感情はどうなのか? 嬉しいとか悲しいとかは、生来のものなのでしょうか?
社会生活を送る中で、嬉しいとか悲しいということを学んでいく部分もないでしょうか?
人が死んだ時、悲しいと思うのは生来ものなのか。幼いときに、祖父や祖母の葬儀で大人が泣いているのを見て驚いたり、人が死んだときは悲しいものなのかと学習したのではないか。それはAIが情報を蓄積していくのと、何が違うのか?

空気を読むという言葉があるけど、その場の雰囲気やマナーに合わせた行動や感情表現を学んでいくのではないか。

読み方によっては、色々に思考が広がる一冊です。


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