有村ちさとによると世界は(平山瑞穂)

DSC_1406.JPG

「プロトコル」続き、この作者の本は2冊目です。その「プロトコル」の続編的な作品で、主人公だった有村ちさとによる一人語りを導入部にして、それぞれの章の主人公に引き継がれる形で物語が進みます。

有村ちさとの一人語りはもちろんのこと、それぞれの主人公に引き継がれたあとも、くどくどしく理屈っぽく感じる文章が長く続きます。ぼくはそれが割と好きなのですが、人によっては読むのも面倒かも知れません。読者を選ぶというか、あまり万人受けする作家ではないかもしれません。だからこそ、「エンタメ作家の失敗学」なんて本を書いたのでしょうけれども。

理屈っぽいのと同時に、人によっては腹が立つかもしれないことも書かれている。

ちさとの妹の「ももか」を主人公にした章では、あまり賢いとはいえない「ももか」を例にして、頭のよくない人間の脳内を分析して見せたりします。頭があまりよくないことを自覚している人、それでいて、その事実を諧謔的に客観的に受け止められない人には、「ムカつく」でしょうなあ、と思わずにはいられません。

例として書かれているのは、「ももか」が中学生のころ、英語の関係代名詞でつまずいた部分の分析です。

英語ができなかった人の脳内の働きが、実に論理的に分析されています。

それは実にリアルで、学習教材というか、できない生徒の指導に応用できそうです。同じことを自分の苦手分野に応用すれば、それを克服する材料にもなるんじゃないかと思えます。

ただ、頭のよくない人、勉強ができない人は、往々にしてその事実を客観的に受け止められないんですね。
そのくせプライドだけが妙に高くて、そうした事実を「ムカつく」ものとして排除しようとする。だから、いつまでたっても成長できない。

というようなことも書かれているのですが、「成長できない人」にとっては、それこそ「自分をバカにしてる」としか思えない。
その結果は、「バカにするな!」「なめるな!」と怒りに火がつきケンカ腰になるから、やっぱり成長できないという悪循環に陥るんですね。

まあ、こういう紹介の仕方も、相当に「ムカつく」ものでしょうねえ。

ところで4つの物語のうち、3つまではファンタジー要素があります。
ひとつだけ現実世界のみで展開するのは、一冊の本としては統一感がないようにも思えるけど、どうなのか。

ファンタジー要素のある第一章では、心を病んだ父親がアメリカ放浪の旅を扱っています。
ラストシーンで、父親の妄想に過ぎなかったはずのブラントン将軍が、複数の人間の前に姿を現すところはなかなか圧巻です。

目撃者のひとりは、アメリカの小さな田舎町の与太郎みたいな三十男。
ティーンエイジャーにもバカにされて、勝手に自宅をたまり場にされて居場所がないという始末です。
まさに、ヒー・イズ・ア・リアル・ノーホエアマン、ですな。

そんなヨータロー(与太郎の英語風発音?)ですが、この目撃談を機械に少しは周囲に見直されたりしないかな、と勝手な読後余韻に浸っているところであります。

ついでながらわざわざ、ヨータローを引っ張り出したのは、作中に「イーチロー」という表記についての蘊蓄があったからです。




この記事へのコメント