
頃日では、自分が好きなものを「推し」と表現することが多いですよね。以前ならば、「ファン」と称していた場面で、「推し」という言い方をしている、気がする。
だとしたら、「推し」と「ファン」とはなにがどう違うのか?
「ファン」というのは誰それが好きだという状態、またはその状態にある人を意味する。
それに対して、「推し」というは「自分がファンである(推している)」対象を意味する。
「(自分は)誰それのファンである」、と表現するよりも「(自分は)誰それを推している」「(自分の)推しは誰それである」のほうが能動的なわけだ。「(自分が)ファンである」状態よりも「推している(のは誰それ)」という能動性が重要。
「自分がファンである誰それ(あるいはモノでも)」よりも、「自分は誰それを推す」という自分の行為に主眼を置きたい表現なのか。
自分の好きな誰かやモノよりも、それを推している自分が大切、そういう自分が好きという心理なのか、とまで言ったら考えすぎです。
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