2日間の東京旅行の移動中や空き時間、食事時間はずっとこれを読んでいました。そのせいか、空港行きのバスや飛行機で寝られなくて寝不足気味……(笑)。
日本語版は1978年、改定版が1989年。今回読んだのは、2015年のハヤカワ新装版です。もはや古典と言ってもいい作品なので、多少のネタバレは許される……のかな?
文庫版には日本の読者に向けた序文があり、多くの読者から「(主人公の)チャーリーは自分です」というファンレターをもらったそうです。しかも多種多様な読者が「自分はチャーリーだ」と書いたらしいですから、以下に読者の共感を得たかがわかります。知的障害でなくとも、周囲と比べて劣っている自分や、年齢を重ねて記憶力が衰えていく自分をチャーリーに重ねた人が多かったのでしょう。
知的障害を持つ主人公チャーリーは、他の人と同じように文字の読み書きをしたい一心で脳の手術を受けます。ところがチャーリーの脳は他の人のレベルを遥かに超えた天才にまで成長してしまう。それはある意味で暴走だったと言えましょう。知能が高まっても、感情面の成長がついていかないことに苦しみ、果ては手術の影響で急速に知力が退行することがわかります。元の知的障害だった自分にもどるか、あるいはそれよりも退行することへの恐怖感に苛まれるチャーリーの心理描写は圧巻です。
作者のダニエル・キイスは、「自分の教養は、自分と自分が愛する人々の間に楔を打ち込む」というメモをヒントに本作を執筆したそうです。確かに人類最高レベルの知性を得たチャーリーには他人が愚かに見えるし、周囲の人はチャーリーに見下されていることに我慢がならない。なにしろ元々のチャーリーは、自分たちよりも遥かに劣った人間だったのですから。
物語は、チャーリーによる手術の経過報告の形で進むのですが、最初は小さな子どもが書いたような拙く間違いだらけの文章です。それが少しずつ知的な文章に変わっていき、ラストの知能退行シーンでは徐々に稚拙な文章に戻っていく。グラデーションのように変化していく文体表現、使えるな……。でも使ったら、「こいつ、アルジャーノンのマネしてやがる」と言われるのがオチですね。
ラスト数ページは、もうすぐ知性を失ってしまうチャーリーからの別れの手紙であり、高い知性を持っていたチャーリーにとっての遺書でもあります。
「ついでがあったら(天才ネズミの)アルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」には泣かされます。
だってこれ、(高い知性を持った)自分を忘れないでほしいとメッセージなんですもの。
天才ネズミのアルジャーノンの墓は、(高い知性を持った)自分の墓でもあるのです。
色々含蓄がありすぎて書ききれません。
この記事へのコメント
海
旅行中に読んだ本というのは
結構印象に残りますよね~。
私もちょうど昨年末に出張先のホテルで読んだ本を
タイミングよく記事にしましたが、その時の情景と
セットで、今後も忘れないだろうな、なんて思います。
「アルジャーノンに花束を」は私も高校時代に
最初に読んで、その後何回か読み返しています。
作者のダニエル・キイスは精神障害とか多重人格などを
題材にした本が多いので、どちらかというと
犯罪心理学者みたいなイメージが強くて、それはそれで
私は結構好きなのですが(笑)
ただ、「アルジャーノンに花束を」のラストは泣けますね。
これを機会に、再読しようと思います。
しろまめ
コメントありがとうございます。
ときを同じくして旅行中に読んだ本の記事をアップするとは、引き寄せですね~。
移動中はほかにすることもないので、読書がはかどります。
この本と、釧路へ向かう片道5時間の電車で読んだ椎名誠の『シベリア追跡』との組み合わせは生涯忘れません。