先日の東京旅行で新橋烏森通りにあるホテルに泊まったから思い出した一冊。前のブログ記事でも書いたように、ずーっと『新宿烏森口~』だと思っていました。たぶん今回、烏森通りのホテルに泊まらなかったら、一生気づかずにいたかも。
23歳のシーナ青年が、デパート業界新聞を作る会社に入社して愉快な同僚や奇々怪々な上司たちと過ごした日々を描いています。
椎名誠は1944年生まれですから、23歳のころは当然ながら1967年。ぼくが5歳のころのサラリーマン生活なのです。今のオフィス風景と違っているのはもちろん、1986年ころにぼくが見たサラリーマンの世界ともずいぶん異なっています。
なにしろ計算をするのには、タイガー計算機なんていう手回しの機械式計算機を使っているのです。計算するのにハンドルをグリグリグリと回すだなんて、鉛筆削りと間違えていないか、と思うのは無理がないところでしょう。
今なら、原稿を書くのも計算するのも紙面のレイアウトもパソコンでチャチャチャッとできるのに、当時は大変だったんだなあ……。と書きつつも、作業量が多くて大変だったはずのシーナさんたちのほうが、楽しそうなのはどういうワケだ?
ぼくはお酒を飲まないのですが、仕事が終わってから3時間も4時間も酒を飲んでいるという呑気というかおおらかさはうらやましい。しかも、それでまだ11時なんだから。
酒を飲んでいた上司が突如、
「うた、うたうよ」と言い出し、歌い出したと思ったら飲み屋の親父が、
「ハア、キタサア、キタサア」と手を叩く。もちろん、カラオケなんてあるはずなく、あるのはオッサンの歌のみ。
「うた、うたうよ」と、
「ハア、キタサア、キタサア」の合いの手がなんとも味わい深いです。
ほかにも、社員旅行で会社の幹部が披露する宴会芸「よかちんちん」などなど。
ぼくが最初に読んだころでも「昔話」だったサラリーマンの世界。
今の若い人が読んだら、どうなるんだろう……?
おそらく会社にこうした魑魅魍魎が蠢いたのは、そこが業界紙の会社だったからでしょう。一般の会社とは違った世界だったのでしょう。
もちろん、どの業界でも、どの会社でも個性というものがあって、まったく同じものはありません。
ですが、業界紙というものは、いわばあってもなくてもいいもので、作品の中でも登場人物たちは自分のしていることを「寄生虫みたいなもの」「いかがわしい仕事」などと言っています。
そのへんは、妙に「わかるな~」という部分もあります。
ぼくは一年半くらい、新聞広告を作る会社にいたことがあります。新聞広告といっても全面を使ったアーティスティックなものではありません。
いわゆる名刺広告というものです。年末年始の新聞を見ると、「あけましておめでとうございます~○○株式会社代表取締役甘木何兵衛」なんていうのがあるでしょう。そのたぐいの、その広告を出すことに何の意味があるのだろうか、とまともな神経の持ち主なら考えるに決まっている広告ですよ。もはや、広告という言葉を使うのもどうかと思います。
名刺広告をやっている会社の人たちは、どこか普通の会社の人と違った雰囲気を持っていました。ズレているというか、わかっていないというか……。
なので、ぼくにはけっこう向いていたと思うんですけどね。
ですが営業職として広告をとるのはたいへんに辛い仕事で、1年半で逃げ出しました。
ちなみに、新橋烏森口周辺の風景を想像しながら読もうとしたのですが、おそらく今の新橋烏森通とはまるで違っているはずで。
シーナが歩いていた烏森通は、あんなにギラギラと明るくはなかったんじゃないか、と思うですよ。
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