まずお断りしておきますが、ぼくが車窓からの遊びをしたのは中学生くらいのころです。あのころは重症の中二病患者だったので、多少のことも行き過ぎた点も大目に見てやってください。
中学生くらいのころ親の転勤に伴い、北海道内を国鉄(当時)で移動することがよくありました。転勤の引っ越し時以外でも、家の用事などで汽車(当時)に乗ることは少なくなかった。あのころは今と違って、汽車の中で時間を潰すには本を読むか寝るかしかなかったですね。マンガを買ってもらうこともありましたが、旅先ですからそう何冊もは買えません。読み捨てる雑誌じゃなくて、家に持ち帰るような単行本を一冊だけ買ってもらうことが多かったですから。その一冊を読み終えて、パラパラと読み返していてもあきてきます。そうなると、あとは寝るか窓の外を見ているよりありません。なにしろ元気盛りの中学生ですから、汽車に揺られていてもそうそう眠くはならないです。旅先ということで、軽い興奮もありますし。
で窓の外を見ていると、北海道らしく人気のない原野とか人気のない荒涼とした海岸とか人よりも牛や馬のほうが多い牧場が遠くに見えたりします。そこで想像したのは、たまに遠く見える人影に対してライフル銃で狙い撃ちすることです。窓から身を乗り出すのは危ないので、銃口をほんの少しだけ窓の外に出します。銃声や銃口から出る燃焼ガスを車外に逃がすためです。実際には薬室の激発音もあるのですが、銃声の大半は銃口から出ますからね。
ライフルを脇において、車窓から外に目を向けます。進行方向の遠くに人影が見えたら、素早くライフルを構えてスコープを覗きます。スコープの中の十字線に標的を合わせ、引き金を引くときは躊躇なく。ライフルの銃把が肩を打ち、銃口から硝煙が出て、あっという間に車外の風に乗ってかき消されます。汽車は猛スピードで走っているので、命中を確かめる前に、次のターゲットが見えてきました……。目は常に進行方向に向けておきます。距離にもよりますが、通り過ぎたターゲットに狙いをつけても当たるものではありませんから。
と、いうようなことを頭の中だけで行っているのですよ。窓だって閉めたままです。昔の鈍行ならまだしも、長距離の汽車は当時でも窓が開かないか、開けたら猛烈な風が吹き込んできて周囲の顰蹙を買うことになります。顰蹙を買うだけならいいけど、まわりの大人たちに怒られちゃいますからね。あのころは、よその子どもでも容赦なく叱られましたから。窓を開けないだけでなく、ライフルも想像上のものです。さすがに汽車の中にライフルを、たとえそれがオモチャであったとしても持ちこむわけにはいかないですから。梱包された荷物として持ちこめたとしても、取り出してかまえるのだってアウトです。すべては妄想のできごとであります。
人気のない北海道の山中を走る汽車でも、時には人家のある場所も通るし、駅の近くならさらに人は多くなります。町の中では狙撃が追いつかないので撃つのはやめますが、人影がポツポツ、というところでは妄想が再開されます。だいたい、多いときで90回くらい発砲したでしょうか。ここで「発砲した」と書いたのですが、人間を撃ち殺した、という感覚はありませんでした。遠くて生死を確認できないという意味ではなく、的に向けて銃を撃ったという気分だったのです。遠くに見える人影と人間とを結びつけてすらいませんでした。「それはゲーム感覚で人を射殺している」と言われればそうかもしれません。「その人影は生きた人間であり、その人には人生があって」と言い出す人もいるかもしれませんが、そう言われても困る。あのころの妄想にとって、遠くに見える人影は単にターゲットであって実態のある人間とは結びついていなかったのですから。ライフル銃だって、実態のない妄想の産物ですからね。傘を銃のように見立てて構えてすらいません。もしかして町中では妄想を止めたのは、人影の距離が近すぎて顔まで見えたためかもしれません。顔まで見えてしまったのでは「実態のある人間とは結びつかない」わけにはいきませんからね。
一度、汽車で前の席に座っている父にこの妄想のことを話したことがあります。父は、ぼくを叱るということはしませんでしたが、ひどく不快そうな表情を浮かべて「おそろしい奴だな」とつぶやきました。それを聞いて、こういうことは人に言ってはいけないんだなと学びました。せっかく学んだのに、ブログ記事に書いちゃって台無しです。
繰り返しますが、汽車の中からの狙撃妄想は、あくまで想像上の的を想像上のライフルで撃つ遊びです。他人をどうこう、というものではありません。もしもぼくが本物のライフルで人を撃つライフル魔になっていたら、中学生のころからそういう妄想をしていた、と言われるところでしょう。いや、この妄想は誰も知らないんだった。父は早くに亡くなっているし。ともあれ、物騒で殺伐たる妄想をしていた中二病患者はライフル魔になることなく、ガザやウクライナの惨状を見て胸を痛めるという当たり前の感覚の紳士になったし、今では車窓からの狙撃を妄想することもありません。まあ、あのころ物騒で殺伐たる妄想をしていたのは、中二病だったからんだから仕方ないんですよ。
まあ、たまに。
あまりに乱暴な運転の自動車や、いくらなんでも自分勝手すぎるだろうと感じる自転車に対しては、指でピストルの形を作って後ろからバーンってやったりしますけどね。
この記事へのコメント
海
いや~、なかなかの妄想っぷりですな(笑)
「妄想は自由」であり処罰の対象外ですが、
お父さんの反応が全てを物語ってますな(笑)
ちなみに、私の後輩も、上司に怒られたりして
ムカムカしてる時は、頭の中で、その上司を
拳銃で何発も撃ったりするそうです。
頭の中で撃たれた上司が崩れ落ちるのですが
横たわる身体目がけて、ありったけの
弾を撃ちこみ、横たわって、とうに死んでるのだけど
撃たれた衝撃で身体がビクン!ビクン!って
跳ねる姿まで想像するとスッキリする、みたいな事を
聞かされ、私も、しろまめさんのお父さんみたいな
感じの返事をした記憶があります(笑)
しろまめ
ぼくなら簡単には死なせません。できるだけ急所から遠い場所から撃っていきます。
そもそも拳銃なんて使わず、イスに縛り付けておいて、むこうずねを金槌でぶったたくとか。
「ここ、痛いですか?」(ガツン!)
「※▲◎#¥$!&&%!!」
「痛かったら、痛いって言ってくださいね!」(ガツン)
「※▲◎#¥$!&&%!! ※▲◎#¥$!&&%!!」
「もっと叩きますからね」(ガツン)
「※▲◎#¥$!&&%!! ※▲◎#¥$!&&%!!」